【四十の手習い】茶道はじめました!
「四十の手習い」という言葉、よく耳にしますよね。
私はずっと「四十歳からの挑戦」という意味だと思っていましたが、
実は本来は「六十の手習い」のことを指すようです。
ことわざ というほど確立したものではないようですが、
「五十の手習い」
「六十の手習い」
「七十の手習い」など、諸説あるようで、
要するに——
”年齢に関係なく、新しいことを始めること”
そのくらいのニュアンスで、ざっくりと受け止めていいのかもしれませんね。
アラ還にして、ようやくスタート
”アラ還” になって、ようやく茶道を始めました。
実は、ずっと前から 茶道は「いつか習いたいことリスト」の上位にありました。
祖母からの「オススメお稽古ごと」のひとつにも“お茶”はありました。
が、結局ご縁がないまま大人になってしまいました。
でも、決して興味がなかったわけではありません。
もともと日本の文化が大好きで、
茶道の世界の奥深さにはずっと憧れがありました。
「いつか」は、なかなかやってこない
「茶道の道は長い」
「10年習ってもまだひよっこ」などと耳にするたびに、
私も「しっかり腰を据えて」「心身ともに落ち着いたら」
と、そう思っていました。
けれど、「いつか」のまま、何年も過ぎていくばかり。
毎年のように「今年こそ茶道を始める!」と年始の目標を立てては、
気づけば年が明けて、また同じ目標を毎年立てていました。
そんなある日、ふと気づいたのです。
「このままでは、寿命のほうが先に来てしまう!」(笑)と、
そして、ようやく茶の道の門を叩きました
花嫁修行から“自分のための稽古”へ
私たちの若い頃には、まだ「花嫁修行」や「お嫁入り道具」といった言葉や習慣がありました、
お茶(茶道)やお花(華道)、お料理などを学び、お免状をいただくことは、
お嫁入り(縁談)の際の大いなる加点材料とされていた時代です。
今ではもう、そんな風習を聞くことも少なくなりましたね。
しかし、 日本人として大切にしたい心を学ぶ茶道 に流行りも何もありません。
日本人として日本の文化を改めて学びたい、そんな純粋な気持ちですので
免状をいただくことに 私は、今となっては興味がありません。
世の中はすっかり“断捨離推進モード”
むしろ、以前 他のお稽古ごとでいただいたお免状をどうしたものか、、と悩んでいるくらいです(笑)
茶の湯は、心を整える時間
茶室に入ると、外のざわめきがすっと遠のき、
季節の花を一輪いけ、釜の湯が静かに沸く音に耳を澄ます。
その静けさの中で、自分の呼吸や心が少しずつ整っていくのを感じ・・・・
と、言えるまでは、まだまだ先のことの様です。
今は、基本のお点前を覚えるのに精一杯!というところですね。
しかし、
日常の中で自分を整える小さな大切な時間 となりつつあります。
自分の心を整え一服のお茶に心を込める
早く、その段階に到達したいものです—
おわりに
年齢を重ねるほどに、
新しいことを始めるのは億劫になります
けれど、いくつになっても「学び直す」ことはできるし、
それこそが人生を豊かにしてくれるのだと思います。
思い立ったときが、きっとその人の**始めどき**なのです。
私もいつかいつか、と思いながら今年になって初めた茶道ですが、
私にとっては、
今が、**始めどき** だったのだと感じています。
alma